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『中原街道を往く』 vol.02 小杉十字路から徳川の世に思い馳せる小杉御殿跡まで

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前回終了した二ヶ領用水・神地橋から今回のルートは小杉十字路をスタートし、小杉御殿跡を目指します。

9月に入っても一向に衰えることのない猛暑、照り付ける日差しは前回の街道歩き以上のハードさを予感させました。そして、この予感は間違いではなかったことを知るのはおよそ2時間後のこと…。

スタートポイント 【小杉十字路】 から気合いを入れていざ、出発!

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小杉十字路からしばらくは道幅も広く、バスや大型車の往来が盛んでありつつも、歩きやすくスムーズ。それがしばらく経つと、道幅はとても狭くなり、歩行者はすれ違うことのできない状態になります。それでも中原街道を行きかう交通量は非常に多く、編集部も縦一列に並んで安全第一で進みます。

【油屋の庚申塔】

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かつて屋号 『油屋』 と呼ばれた家のほど近くにあるため、この名称で呼ばれるようになったそうです。庚申塚とも言われ、各地で古くから祀られていますが、塚の上に石塔を建てるので庚申塔と呼ぶのだとか。この 『油屋の庚申塔』 は、台座である塚部分に 「南大師道」 、「東江戸道」 、「西大山道」 との記載があり、三方向の道しるべとなっているのです。こちらは今より300年ほど前に信心し、160年前に塔を建てたという記載がされていました。

次のポイント、 【つけぎやの供養塔】 は、残念ながら編集部では周辺を探すも発見できず…。後日調べてみると、この 『つけぎや』 というのも屋号で、幕末頃に建てられたようです。ちなみに附木(つけぎ)とは、炭火などから灯火などに火を移す際に用いられた薄く短い木片のこと。

【西明寺】

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こちらが川崎七福神の一つ、大黒天の西明寺。

実は編集部は、狭い道幅を延々歩き、 『西明寺』 の交差点まで来てからずいぶんと迷子に…。どうやら道を戻る必要があるらしい…、と気づきつつも、炎天下のなか往来の激しい道を再度戻ることがイヤで (すみません…) なんとか他の道を検討するも、結局戻ることが近道!という結論に至りました。たどり着くとあまりにも清浄な光景が眼前に広がっていて思わず感激。

北条時頼公の信仰厚く、中興開山となられているところから北条氏とも
ゆかりが深く、時頼公の生像が現存しております。江戸時代は徳川家康公
がしばし、中原街道を通り、小杉御殿で休憩している点、また葵の紋は朱
塗りの籠があったことからも西明寺と縁が深かったことがわかります。(出典:川崎七福神めぐり

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こちらの西明寺境内は観音堂や出世弁財天など、一見の価値があります。

行き届いた清掃のあとがうかがわれる、よく掃き清められた跡が残り、美しく整えられた庭園風景は心洗われる思いがしました。

【小杉御殿】

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参道の入り口には 『徳川将軍小杉御殿跡』 と書かれた石塔があります。

西明寺山門右の傍らにある井出家から、この先のポイントでもある 【石橋醤油店】 のあたりまでの一帯はかつて、江戸時代初期からおよそ50年ほどに渡り、徳川将軍が使っていた小杉御殿が存在していたことを今に伝えています。家康公が鷹狩りを好み、そのときにつくらせた幾つかの宿泊所のうちの一つ。その後の家光の御世に御殿として完成し、参勤交代の休憩所として活況を呈しました。その後東海道の整備とともに、中原街道の往来が減り、小杉御殿は1660年に廃止となったのです。

 

第二回目となった今回は、前回のルートより一層、過去の時代に思いを馳せる道行きとなり、この後に続く 『カギの道』 へ入ると、その思いはなおのこと強まっていくのです。

≪つづく≫

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